「信者に熱く語られたときの平和で適当なかわし方」ジェネレータ

「認知言語学信者」にその素晴らしさを熱く語られたときの平和で適当なかわし方

認知言語学ほど、ハマってる人と興味がない人との温度差が激しいものはないと言えるでしょう。 はまっている人の中には、「認知言語学 の素晴らしさをもっと広く伝えなければ!」と言う使命感を抱いて、 ことあるごとに啓蒙活動に励もうとする“信者”が少なくありません。

その博愛の気持ちは尊いといえば尊いのですが、勧められる側がさほど 認知言語学に興味がない場合は、 どう対処していいのか困ります。今日も全国各地で、 認知言語学信者の熱い勧誘を受けて、 勧められる側が苦笑を浮かべているという構図が繰り広げられていることでしょう。

認知言語学に興味がない側のあなたが、 そういう災難にあったときはどう対処すればいいのか。 信者の勧誘に対する平和で適当なかわし方を考えてみましょう。

「認知言語学様」を否定するのは危険

程度の差こそあれ、「認知言語学」を熱く勧めたがる信者の皆さんは、 「認知言語学によってもたらせる新たな可能性」を信じ、 その可能性を人より早く気づいていることに、ちょっぴり優越感を抱いていると言えるでしょう。 どうも熱が入りすぎている人の中には、認知言語学に過大な望みを託して、 いまいち不本意な現状から社会を大変革してくれる救世主のように見ているように思えるケースもあります。

いや、あくまで極端な例を挙げているだけなので、「俺は違う!」とムキにならないでください。 もちろん、私の周囲の認知言語学好きのみなさんに対して、 私がそういう目を向けているわけでもありません。

今後の人間関係を考慮した言い訳で話がそれましたが、 認知言語学を熱く勧めてくる人にとって、 認知言語学にハマっていることが誇りであることは確か。 何はさておき、そこを見逃さないようにしましょう。

例えば、最近認知言語学にハマっている同僚に、 「お前も始めた方がいいよ」と熱心に勧められたとします。 素晴らしさを説かれても、いまいちピンと来ないからといって、

「うーん、よくわかんないなあ。みんな認知に関するお絵かきをするだけで説明できるとか、なんか気持ち悪い世界のようにも思えるけど」

「そのささいな言語の違いがあっても、それが認知構造の違いを反映しているという保証はないし、言語特有の事情も見逃す可能性も高いわけでしょ。なんか変だよね」

などと、偉大なる「認知言語学様」の成果を否定する言い方を否定するのは危険すぎます。

ムキになってさらに熱く語ってくるぐらいならまだしも、「ハァ~」と深いため息をつきながら、 救いがたい愚か者を見るような目を向けてくるかもしれません。

まあ、分かり合えなくてもべつにいいといえばいいんですけど、 お互い、相手に悪い感情を抱くきっかけになるのは避けたいところです。 向こうだって、たまたま認知言語学と衝撃的な出会いをして 頭がおかしくなったテンションが上がっているだけかもしれず、 けっして悪気があるわけじゃないし、人間として致命的な何かを失ってしまっているとまでは言い切れません。

一生懸命に認知言語学の魅力を語ってくれたら、たとえピンと来なくても、

「なるほど、そういうふうに人間の認知を捉えるっていうのも、ユニークな考え方だね」

と、その教義に衝撃を受けたかのような反応をしておくのが、 大人の包容力でありそれなりに満足させるマナーです。

そういうふうに言えば喜ぶのはわかっていても、まるでその相手までホメるみたいで抵抗がある場合は、質問に逃げましょう。

「生成文法とかとはどう違うの?」

と、ライバルの名前を持ち出してきて、認知言語学の優位性をさらに語らせるもよし、

「なんか意味を記述するたびに、いちいち『メタファー』って言わなきゃいけないんでしょ?」

そんな歪んだ先入観丸出しの誤解をわざとぶつけて、ひとしきり説明させるもよし。

いずれにせよ、どうでもいいと思っている気持ちを覆い隠したまま、 相手にそれなりの満足を覚えてもらうことができます。

はまりっぷりを批判するのはもっと危険

まったく認知言語学に興味がないわけではなく、 前にちょっと試しに触らせてもらったけど、意義がよくわからなくて困ってしまうケースも、 けっこう多そうです。そういう状態にあるあなたに、ハマっている同僚が例によって軽い口調で、

「簡単な理論ですから、まあ直感的に処理してみてくださいよ」(明らかに直感的に処理できてない自分。)「プークスクス。おっと、失礼。ちょ~~っとだけ難しかったですかねぇ?」

と認知言語学教、じゃなかった、革新的な世界(自称) における定番の「そんなことも即座に理解できないの?」的フレーズを発してきたとします。 「ええ、普段接しているものとはかなり異なるものなので……」 と適当に納得したふりをして怒りを抑えるのはいいとして、つい勢いで、

「革新的(笑)で画期的(笑)で人間の認知に即した(笑)今まで説明できなかったことを説明できる(笑)理論はオレには何の迷いもなく(笑)使うことはできないようですね(笑)まあオレはお絵かき(笑)で直感的(笑)に理解する人間じゃないですし^^」

などと全力で冷やかしてしまわないように気をつけましょう。 ハマっている人は、誇らしさの裏側に、多くは無自覚にですけど、

「形式論理を扱う自信がなくて認知意味論のお絵かきにすがっているように見えるんじゃないか」

「言語の分析の浅薄ぶりを認知という言葉で紛らわそうとしているように見えるんじゃないか」

といった不安を抱えています。何気ない皮肉が引き金になって、 心の奥の地雷を踏んでしまいかねません。 そこまでややこしい話じゃなくても、ハマりっぷりを感心する台詞の裏側に、

「よっぽど形式的なものが苦手なんだな」

「その分、もっと実際の言語現象に着目しろよ」

と言う本音の気配を勝手に察知してしまいがち。なんせ日頃から他人の心に土足で踏み込んでいるだけに、 相手の心の動きに対してもきっと敏感です。 仮にカケラも思ってなかったとしても(カケラも思ってないケースは稀ですが)、相手はそう受け取るでしょう。

ハマりっぷりに対しては、てきとうに、

「オレも早く認知言語学をちゃんと理解したいなあ」

とうらやましがっておくのが無難であり、相手に対する大人のやさしさ。単なるおためごかしではなく、 そのセリフを聞いたときの相手の満足そうな表情を見ることで、大人としての深い喜びも味わえるでしょう。

認知言語学をきっかけに相手と仲良くなる方法

仮に、認知言語学の話題をきっかけに相手との距離を縮めたいなら、 その場の口先だけでなく、次に顔を合わせたときに、

「あれから、メトニミーとか、イメージスキーマとか、50本ぐらい論文を読んでみたよ」

と具体的な実績を話せばバッチリです。

熱く勧めてきた相手が、上司だったり仲良くなりたい異性だったりした場合は、 とりあえず勧められたとおりに触ってみて、認知言語学の魔力に魅せられたフリをしましょう。

「やってみると面白いですねー。勧めてもらってよかったです」

とまでリップサービスしておけば、さらに完璧。相手は信者ですので、絶賛なら少々の違和感は気にしないでしょう。

具体的な対処法を書いてきましたが、こっちは所詮一個人。 認知言語学が彼らの理想通りに普及しないのは認知言語学が悪いのではなく、 わかってない異教徒や足を引っ張る奴らの問題だということにして批判の矛先を変えておきましょう。

この記事は、 「ツイッター信者」にその素晴らしさを熱く語られたときの平和で適当なかわし方 とその記事についたはてブコメントの 「汎用性たけえ」、改変ネタの 「Apple信者」にその素晴らしさを熱く語られたときの平和で適当なかわし方辺りの記事を見ながら 「信者に熱く語られたときの平和で適当なかわし方」ジェネレータ を使って生成させていただきましたので、真には受けないように。 そんなことを踏まえつつ、それぞれのニーズや好みに応じてまた主語を変えてお楽しみいただければよろしいかと思います。

今回のマナー

「認知言語学信者」が抱える誇らしさと不安――その両方を見逃すべからず