ニセ科学批判ほど、ハマってる人と興味がない人との温度差が激しいものはないと言えるでしょう。 はまっている人の中には、「ニセ科学批判 の素晴らしさをもっと広く伝えなければ!」と言う使命感を抱いて、 ことあるごとに啓蒙活動に励もうとする“信者”が少なくありません。
その博愛の気持ちは尊いといえば尊いのですが、勧められる側がさほど ニセ科学批判に興味がない場合は、 どう対処していいのか困ります。今日も全国各地で、 ニセ科学批判信者の熱い勧誘を受けて、 勧められる側が苦笑を浮かべているという構図が繰り広げられていることでしょう。
ニセ科学批判に興味がない側のあなたが、 そういう災難にあったときはどう対処すればいいのか。 信者の勧誘に対する平和で適当なかわし方を考えてみましょう。
程度の差こそあれ、「ニセ科学批判」を熱く勧めたがる信者の皆さんは、 「ニセ科学批判によってもたらせる新たな可能性」を信じ、 その可能性を人より早く気づいていることに、ちょっぴり優越感を抱いていると言えるでしょう。 どうも熱が入りすぎている人の中には、ニセ科学批判に過大な望みを託して、 いまいち不本意な現状から社会を大変革してくれる救世主のように見ているように思えるケースもあります。
いや、あくまで極端な例を挙げているだけなので、「俺は違う!」とムキにならないでください。 もちろん、私の周囲のニセ科学批判好きのみなさんに対して、 私がそういう目を向けているわけでもありません。
今後の人間関係を考慮した言い訳で話がそれましたが、 ニセ科学批判を熱く勧めてくる人にとって、 ニセ科学批判にハマっていることが誇りであることは確か。 何はさておき、そこを見逃さないようにしましょう。
例えば、最近ニセ科学批判にハマっている同僚に、 「お前も始めた方がいいよ」と熱心に勧められたとします。 素晴らしさを説かれても、いまいちピンと来ないからといって、
「うーん、よくわかんないなあ。民間のニセ科学なんて消費者問題で処理しとけばいいようにも思えるけど」
「ニセ科学っていっても、なにがニセでなにが正しいなんて簡単にいえないし、自分が正しくない可能性だってあるわけでしょ。ニセってなんか失礼だよね」
などと、偉大なる「ニセ科学批判様」の成果を否定する言い方を否定するのは危険すぎます。
ムキになってさらに熱く語ってくるぐらいならまだしも、「ハァ~」と深いため息をつきながら、 救いがたい愚か者を見るような目を向けてくるかもしれません。
まあ、分かり合えなくてもべつにいいといえばいいんですけど、
お互い、相手に悪い感情を抱くきっかけになるのは避けたいところです。
向こうだって、たまたまニセ科学批判と衝撃的な出会いをして
頭がおかしくなったテンションが上がっているだけかもしれず、
けっして悪気があるわけじゃないし、人間として致命的な何かを失ってしまっているとまでは言い切れません。
一生懸命にニセ科学批判の魅力を語ってくれたら、たとえピンと来なくても、
「なるほど、そういうふうにマーケティングするのも、ユニークな考え方だね」
と、その教義に衝撃を受けたかのような反応をしておくのが、 大人の包容力でありそれなりに満足させるマナーです。
そういうふうに言えば喜ぶのはわかっていても、まるでその相手までホメるみたいで抵抗がある場合は、質問に逃げましょう。
「STSとかとはどう違うの?」
と、ライバルの名前を持ち出してきて、ニセ科学批判の優位性をさらに語らせるもよし、
「なんか書くたびに、いちいち『だす』って言わなきゃいけないんでしょ?」
そんな歪んだ先入観丸出しの誤解をわざとぶつけて、ひとしきり説明させるもよし。
いずれにせよ、どうでもいいと思っている気持ちを覆い隠したまま、 相手にそれなりの満足を覚えてもらうことができます。
まったくニセ科学批判に興味がないわけではなく、 前にちょっと試しに触らせてもらったけど、意義がよくわからなくて困ってしまうケースも、 けっこう多そうです。そういう状態にあるあなたに、ハマっている同僚が例によって軽い口調で、
「簡単なリテラシーですから、まあ冷静に考えてみてくださいよ」(明らかにリテラシー不足な自分。)「プークスクス。おっと、失礼。ちょ~~っとだけ難しかったですかねぇ?」
とニセ科学批判教、じゃなかった、革新的な世界(自称) における定番の「そんなことも即座に理解できないの?」的フレーズを発してきたとします。 「ええ、普段接しているものとはかなり異なるものなので……」 と適当に納得したふりをして怒りを抑えるのはいいとして、つい勢いで、
「科学的(笑)で物理的(笑)で魔法と区別つかない(笑)信じられない科学的(笑)意見はオレには何の迷いもなく(笑)使うことはできないようですね(笑)まあオレは科学者(笑)でニセ科学批判(笑)な人間じゃないですし^^」
などと全力で冷やかしてしまわないように気をつけましょう。 ハマっている人は、誇らしさの裏側に、多くは無自覚にですけど、
「自信がなくてニセ科学批判にすがっているように見えるんじゃないか」
「根の深い寂しさをニセ科学批判で紛らわそうとしているように見えるんじゃないか」
といった不安を抱えています。何気ない皮肉が引き金になって、 心の奥の地雷を踏んでしまいかねません。 そこまでややこしい話じゃなくても、ハマりっぷりを感心する台詞の裏側に、
「よっぽどヒマなんだな」
「その分、もっと仕事しろよ」
と言う本音の気配を勝手に察知してしまいがち。なんせ日頃から他人の心に土足で踏み込んでいるだけに、 相手の心の動きに対してもきっと敏感です。 仮にカケラも思ってなかったとしても(カケラも思ってないケースは稀ですが)、相手はそう受け取るでしょう。
ハマりっぷりに対しては、てきとうに、
「オレも早くはまりたいなあ」
とうらやましがっておくのが無難であり、相手に対する大人のやさしさ。単なるおためごかしではなく、 そのセリフを聞いたときの相手の満足そうな表情を見ることで、大人としての深い喜びも味わえるでしょう。
仮に、ニセ科学批判の話題をきっかけに相手との距離を縮めたいなら、 その場の口先だけでなく、次に顔を合わせたときに、
「あれから、あの人とかあの人とか、50人ぐらいニセ科学批判してみたよ」
と具体的な実績を話せばバッチリです。
熱く勧めてきた相手が、上司だったり仲良くなりたい異性だったりした場合は、 とりあえず勧められたとおりに触ってみて、ニセ科学批判の魔力に魅せられたフリをしましょう。
「やってみると意義深いですねー。勧めてもらってよかったです」
とまでリップサービスしておけば、さらに完璧。相手は信者ですので、絶賛なら少々の違和感は気にしないでしょう。
具体的な対処法を書いてきましたが、こっちは所詮一個人。 ニセ科学批判が彼らの理想通りに普及しないのはニセ科学批判が悪いのではなく、 わかってない異教徒や足を引っ張る奴らの問題だということにして批判の矛先を変えておきましょう。
この記事は、 「ツイッター信者」にその素晴らしさを熱く語られたときの平和で適当なかわし方 とその記事についたはてブコメントの 「汎用性たけえ」、改変ネタの 「Apple信者」にその素晴らしさを熱く語られたときの平和で適当なかわし方辺りの記事を見ながら 「信者に熱く語られたときの平和で適当なかわし方」ジェネレータ を使って生成させていただきましたので、真には受けないように。 そんなことを踏まえつつ、それぞれのニーズや好みに応じてまた主語を変えてお楽しみいただければよろしいかと思います。
「ニセ科学批判信者」が抱える誇らしさと不安――その両方を見逃すべからず